裁判員制度(さいばんいんせいど)。確かに耳慣れない言葉ですね。
この制度は「陪審制度や参審制度を参考にした市民参加の裁判を刑事裁判で導入しよう」というもので、戦後初めて導入される市民の司法への参加制度です。
この制度では、一般の市民がアトランダムに選ばれて「裁判員」になり、裁判官と話し合って刑事裁判の有罪・無罪や刑を決めることになっています。
2001年6月12日、内閣の「司法制度改革審議会」で、この制度を日本に導入することが提起され、現在「裁判員制度」を制度化するための立法作業が行なわれています。
2004年には「裁判員制度」の法律ができる予定なのです。近い将来、あなたも「裁判員」に選ばれることになります。
Q1:裁判員制度って一体何ですか?
Q2:裁判員制度は「陪審制度」とどう違う?
アメリカ映画でよくみられる陪審制度は、12人の市民だけで、有罪・無罪を判断する制度です。アメリカでは民事事件も刑事事件も、当事者が選択すれば陪審制度によって裁かれることになります。
日本の司法改革の論議でも、陪審制を是非実現しようという声が高まりましたが、最高裁判所などからは「市民にすべて判断を任せるのは難しい」という強い反対意見がありました。
そうした中、内閣の「司法制度改革審議会」では、どんな市民参加制度を日本に導入するか、激論が交わされ、結局「日本にしかない新しい市民参加制度」ということで裁判員制度が決まったのです。
裁判員制度では、市民だけでなく、裁判官も有罪・無罪の評議-話し合いに加わって結論を出すことになる点が陪審制度と異なります。
陪審裁判に参加する市民は「陪審員」ですが、裁判員制度で裁判官と話し合って有罪・無罪などを決める市民は「裁判員」と呼ばれます。
Q3:裁判員制度-今のところ何が決まっているの?
今決まっているのは大体次のようなことです。
- 1.対象となるのは、さしあたり刑事事件のうち重大事件で、裁判員は、有罪・無罪だけでなく、刑(懲役何年が妥当か、執行猶予にすべきかなど)についても判断する、とされています。
でも、市民参加をなぜ刑事重大事件に限るの?という疑問、他の裁判にも拡大すべきだ、という意見もたくさんあります。 - 2.裁判員になるのは、選挙人名簿から無作為に選ばれた一般国民です。 ですから、あなたや友人、家族も「裁判員」にこれからなるのです。
- 3.判決を決めるにあたって、裁判官と裁判員は対等な権限をもっています。 この制度はとかく狭い世界にいる裁判官だけの判断ではなく、市民も一緒に判断の過程に参加して市民常識を裁判に反映させようという制度です。 ですから、市民は裁判官の意見に従う必要はありません。裁判官と違う意見でもどんどん自由に言うことが市民には求められています。
詳しくは、この制度を提唱した「司法制度改革審議会」の最終意見
[URLはこちら]
司法制度改革審議会のページ→
をご覧ください。
Q4:もし、裁判員になったら、一体どんなことが起きる?
裁判所からある日あなたのポストに手紙がきます。「裁判員になってほしいので、○月×日裁判所にきてほしい」というお知らせです。裁判所にいくと、あなた以外にも同じような手紙を受け取った市民がいて、事件の行なわれる法廷に案内されます。
そこで「裁判員選定手続」が行なわれ、裁判官から質問などがあり、その事件の裁判員に誰になってもらうかを決めるのです。
もし、あなたが裁判員に決まったら、それから裁判官とともに、そこで展開される裁判内容-証人のやりとりや検察官・弁護人のプレゼンテーションをよく聞きます。
そして、裁判の審理が終わってから、裁判官と一緒に別室に行き、裁判官と話し合ったうえで有罪・無罪を決め、有罪になった場合はどのくらいの刑にするかを決めます。
Q5:何人の裁判官と何人の市民で話し合うの?まさか市民は一人?
とても重要なことなのに、この点は全く決まっていません。すべてこれから、議論して決めることになっています。「裁判官は1人でよい。市民は陪審制と同じで12人!」という人から「裁判官は3人、市民は2人くらいでよい」という人までいます。
「市民を多く」という人は、市民参加を徹底させて、これまでの制度と大きく変わる市民参加型の司法につくりかえよう、という考えなのでしょう。
「市民を少なく」という人は、市民参加は最小限にとどめ、できる限り今の裁判制度を壊さないようにしよう、という発想だとおもいます。
このように人数構成比は裁判員制度の基本に関わる大きな問題です。この裁判員制度の立法化を検討している内閣の「司法制度改革推進本部」の「裁判員制度・刑事」検討会でも、この問題の議論が始まりました。
検討会のある委員からは「裁判官は3人、市民は2人」という意見が示されました。
しかし、それまで裁判の結論を決めることなど経験したこともない市民が、経験豊富な専門家である裁判官と一緒に議論する、というのはただでさえ想像しにくいものです。
それが裁判官3人に対し、市民が2人しかいないとすれば、自分の意見や疑問を十分に述べ、裁判官と違う自分の意見を結果に反映させるのは至難の業ではないでしょうか。
せっかく市民が司法に参加する制度ができるのですから、市民が「借りてきた猫」のように何も言えないのでは意味がありません。
私たちは市民にわかりやすい裁判が行なわれ、市民が自由に意見を言い、常識を裁判に反映することを可能にするため、少なくとも市民は裁判官の3倍以上必要だ、と考えています。
それに、多数の市民が参加したほうが、職業、経験・バックグラウンドの異なる多様な人々の意見を反映した議論が可能になり、社会常識を裁判に反映することにつながる、と思っています。
Q6:退屈な長~い裁判・膨大な記録・・・市民が参加することは果たして可能なの?
確かに今の裁判は、市民にはわけがわかりません・・・市民には理解できない用語がちりばめられ、裁判官・検察官・弁護士のわかる用語だけで進められているのです。
刑事裁判は「公判中心主義」といいながら、実際は膨大な難解な書類こそが「証拠の王様」になっています。
なぜそんなことになっているかといえば、裁判に市民が参加する制度がないため、裁判はプロ同士がわかりあってやっていけばそれでよい、という風潮ができあがってしまっているためです。
しかし、そんなことでは裁判員制度で裁判に参加する市民はたまったものではありません。
そもそも裁判は市民の権利を決める私たちの社会にとって大切なものです。本来、市民に開かれた、市民みんなが理解できるものでなければならないはずです。
私たちは裁判員制度が出来て市民が裁判に参加する以上「市民にわかりやすい言葉で裁判をすべきだ」と提言します。
膨大な書類を証拠とするのはやめて、直接裁判にやってきて話をする証人や当事者の話だけをよく聞いて判断する仕組みにすべきだ、と考えています(これを専門用語では「直接主義・口頭主義の徹底」と言います)。
まだまだある疑問・・裁判員になったら日当はもらえるの?
法廷で裁判を聞くときは裁判官と並んで壇のうえに座るの?
裁判官の着ている黒いマントのような服を着るの?
大きな事件の場合、家に帰れないでホテルに缶詰、なんてこともあるの?
実はこうしたことも全く決まってないのです。制度設計はこれから2年くらいで急ピッチで進められます。もし裁判に参加するとなったらいろんな不安や希望があるはずです。
ボランティア休暇制度と同様の制度がなければ、サラリーマン・OLは安心して裁判員になどなれません。日当だって払われるべきです。市民が参加する制度なのですから、市民が参加しやすい制度でなければなりません。
どんどん市民の中で希望・注文をだしてよい制度・参加しやすい制度にしていきましょう。
Q7:他の国にも、「裁判員制度」のような市民参加制度はあるのですか?
今日、先進国のほとんどでさまざまなかたちの司法参加が確立しています。
アメリカの陪審制が有名ですが、欧米諸国・ロシア・中国・香港、オーストラリア・ニュージーランド、そして多くの中南米諸国でも陪審・参審制度を導入し、国民による司法チェックを機能させています。
例えば、アメリカとほぼ同じようなイギリス、スペイン、ロシア、南米でもブラジルやアルゼンチンなどは陪審制度です。
フランスは裁判官3対市民が9人で話し合う制度、イタリアは裁判官2対市民が6、スウェーデンは裁判官1人対市民が3人です。ドイツは裁判官3対市民2ですが、「市民がお飾りになっている」と言われ、市民参加の形骸化が指摘されています。
面白いことにデンマーク・ノルウェーは、陪審制度と裁判官と市民で話し合う「参審制度」の両方があり、使い分けています。
そうすると、日本が取り残されているようですが、実は日本では大正時代に「陪審法」が制定され、しばらく陪審法廷が実現しました。第二次世界大戦の最中に、「陪審法」は停止され、未だにそのままになっているのです。
Q8:そもそも一体何で司法に市民が参加するの?
司法は裁判というかたちで、私たち市民の権利を実現し、様々な不正をチェックし何が社会の良識であり正義かを明らかにする、社会において極めて重要な決定過程です。
例えば刑事裁判で、一方で巨悪が見逃され、他方で無実の人が犯罪者にされ刑に服する裁判が下される、としたらどうでしょう。もし自分や家族が被告人や被害者という立場に立たされたら?
司法の決定は私達の社会や市民一人一人の権利に大きく影響するのです。
この重要な決定過程から市民が全く排除されている-そして狭い世界にいる一握りエリート裁判官・官僚裁判官だけが「何が正義か・何が事実か」を決定する権限を握っている、それは民主主義にとって健全なこととはいえません。
市民が裁判に直接参加することは、「何が正義か・何が事実か」を決定するイニシアティブを市民も共有していくことを意味し、市民の良識を裁判に反映させる点で大きな意義をもっています。
市民の司法参加は、司法の過程を通じて市民の適正なチェックのもとに社会が運営される真の市民社会の実現の意義への第一歩となります。
裁判員制度はまずは刑事事件からスタートしますが、市民参加は将来的には民事・行政・労働など社会生活のあらゆるステージに関する裁判で実現されることが期待されます。
Q9:「裁判員制度」の立法化はどんなかたちで進んでいるの?
昨年12月、内閣に「司法制度改革推進本部」が出来て司法改革の立法作業をすすめています。裁判員制度は司法改革の目玉のひとつです。
2004年の立法化を目指して、「推進本部」の中に「裁判員制度・刑事」検討会という機関をつくり、立法について検討しています。
ところが問題なことに、このメンバーはほとんどが裁判官・検事・弁護士・法学者、法律家でない人はたった二人です(ちなみに、その二人は大学教授・新聞記者です)。
この「検討会」での議論については「リアルタイム公開にしなければならない」とされていますが、インターネットに議事録がUPされるのは大体会議の2ヶ月後。しかも発言者の名前は匿名になっていて誰が何を発言したのかさっぱりわかりません。
また、一般の市民の意見を聞く公聴会のようなことをする予定も今のところないようです。
せっかく市民参加の制度を議論しようというのに、市民に情報をきちんと提供し、市民の声に耳を傾けようという姿勢に欠けている、と私たちは考え、改善を求めてさまざまな申入れ行動を行なっています。
しかし、そのような推進本部も市民の意見を募集する、ということをはじめました。8月1日から10月31日まで市民の意見を募集する、というのです。
[意見の送り先はこちら]
政府の意見募集のページ→
市民本位の裁判員制度を実現していくために、是非皆さんの声をどんどん推進本部に伝えていってください。
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